江戸川をはさんで緑多い市川は、縄文時代より人が生活していた歴史がある。さらに、東京に隣接していることから、戦前から保養地・別荘として知られ、多くの文化人が住んでいる。伊藤左千夫、夏目漱石、正岡子規、井上ひさしら文学者から東山魁夷、さだまさしなど著名人も多い。学園都市ともいわれる。
大門通りからスタート
メーン通りではないが、時代を感じさせる古い商店がいくつかある。万葉に関わる掲示板もあり、和歌や歴史の案内が楽しめる。京成線をまたいで約2kの落着いた直線通り。
真間の継ぎ橋
万葉の昔、一帯は海の入江で広い洲にいくつもの橋が架かっていた。当時は京の都まで知られた名所で、奈良・平安から鎌倉時代には和歌によく詠まれていた。
手児奈霊堂
手児奈(てこな)という美しい娘の伝説。その美貌のため男たちの争いが絶えず、これに苦しんだ手児奈は入江に投身したといわれる。当時の入江を忍ばせる小さな池がある。ほうずき市でも賑わう。山部赤人などが万葉集に詠んでいる。
亀井院
1635年、弘法寺の隠居寺として建立。ここにも手児奈が汲んだという「真間の井」がある。北原白秋は2度目の妻、江口章子と大正5年、1月半にわたり住んでいたが、この時はどん底の時代だったといわれる。与謝野鉄幹、高村光太郎、木下杢太郎らと会を主宰し、昭和17年に没。
弘法寺
くぼうじと読む。737年創建。行基や弘法大師の建立とする説がある。仁王門には運慶の仁王像や弘法大師の筆による額がある。400年の枝垂れ桜・伏姫桜は知る人ぞ知る。階段の途中にある「涙石」は乾くことがないといわれるが、里見公園の「夜泣き石」と石にまつわる伝説が周辺に多い。NHK「いく年くる年」でよく放映されるが、高台から市内が一望できる。4月8日の「花まつり」で甘酒がふるまわれる。除夜の鐘つきは行列で、その音は遠くまで響く。
芳澤ガーデンギャラリー
芳澤月恵の寄贈に見事な庭園とギャラリーがある。企画展の時は有料。
須和田公園
桜花見の隠れた名所で、近隣の人しか来ない。縄文土器が発掘され、この周辺には弘法寺をふくめたくさんの遺跡が発掘されている。加曾利貝塚とともに千葉県はもとより全国的に有名な史跡。
郭抹若記念館
かくまつじゃくと読む。昭和3年から10年間、市川市六所神社近くに奥さんと住んだ文学者で政治家、ここに旧宅を移築した。亡命していたが日中の架け橋人として有名。多くの進歩的日本人に助けられたと、戦後も交流を深めた。
和洋女子大学
国府台一帯は学園都市といわれ、筑波大附属研究所、千葉商大、国府台高校などがある。附属中高の女子校で特に服飾、料理などの学科が知られる。
番外編
市川でつとに有名なのは永井荷風。京成本八幡から5分余の八幡小学校裏に「市川は墳墓の地」といって昭和32昭和に自宅を買い、翌々34年に死去。その10年前、21年より菅野に住んでいた。ここから浅草によく通い、うなぎや天ぷらを食べに行ったらしい。同じ頃、菅野にすんでいたのが幸田露伴。しかし、この時は歩くこともできない老人で口述筆記「芭蕉七部集評訳」を仕上げたという。22年7月に80歳で亡くなる。
井上ひさしは鎌倉に転居するまで市川に住み、ここで多くの作品を書く。生前には市の特別文化使節になり、さまざまな施設、催しに参加していた。「花とふるさと」という反戦運動にも協力。さだまさしは現在、諏訪に住んでいるが、単身で長崎から上京して以来、京成真間近くの市川市に長く住んでいた。現在も歌手の妹、母親が居住。
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