久しぶりに再会した、後輩に宛てた手紙からです。
先日は習志野高校柔道部のOB会、懐かしいみんなに会えて別世界のひとときでした。「山嵐」の資料と西郷四郎の文献(松柴辰次郎著『柔道の学び方』)ありがとう。
わたしは小3から町道場で柔道を習いましたが、「山嵐」はもちろん見たことはありません。話によると肩車に近いと聞いていたので、今度の写真を見て違いに驚いています。右組みで右足をはね上げるとなっていますから、背負い投げに払い腰を崩したような技でしょうか。一番、不思議なのは右手・組み手の位置と握り方が正確にわかりませんでした。相手の右襟に組み手を入れるようですが。
もし、今ほとんど使われないとすると(教えない)、相手を崩すのがうまくいかないか、失敗すれば後ろにまわられ寝技に持ち込まれるのかもしれません。できれば見てみたいものです。
本のコピーにもありましたが、柔道技は支点が大切だということを小学生のときから教わりました。初めの師は江戸川区の山本道場でしたが、先生はすでに60歳を過ぎていました。なにしろ習って2~3年は受け身と、立ち技は背負い、大内、大外くらいしか掛けさせない。先生との練習もこれだけを打ち込み式に掛け続けるだけです。
いつか、先生は福岡に転居されたそうですが、柔ちゃん(谷亮子)の練習がテレビで公開されたとき、福岡県警の園田コーチ(我々と同年代で兄弟で全日本選手)がまったく同じ練習をさせているのに感銘しました。
山本先生はいつも「受け身のうまい者は上達する」「技は崩してから掛けなければだめ。そのためには支点で投げる」「柔道は護身術が基本にあるが、円を描くように」と口うるさく教えていました。この教えを守ってか、区民大会では毎年、少年の部で優勝できました。
わたしは、のちに市川市に転居し加藤道場、習高で柔道を学びましたが、基礎は小学生のときに身に付いたと思っています。いつか、このことを書きたいと思っています。
お父さん(松柴辰次郎)の話は杉本や川島先生から噂程度に聞いていましたが、立派な指導者で理論家だったのですね。三船十段に習っていたということですが、わたしも何回か全日本大会や講道館で三船十段を見たことがあります。眼光鋭い小柄な白髪の老人でした。講道館に立つ嘉納治五郎師範像が全国の寄付で立ったとき、わたしたちも除幕式に行きましたが、このときも三船十段を見ました。
西郷四郎は富田常次郎の本「姿三四郎」でずいぶん読みましたが、彼の描写では「山嵐」は想像できませんでした。警視庁での試合で西郷が負けていたら、今の柔道は相変わらず各流派に分かれ、世界にも広まっていなかったかも知れません。嘉納師範は日本で最初のオリンピック参加者4人を自費で引き連れて行ったそうですし、海外では英語でペラペラ話した文武両道の人だったのですから、この点でも尊敬します。
お父さんが書かれた『柔道の学び方』を図書館で借りる手配をし、再度、柔道の基本を学んで仕事にも生かしたいと思います。ときどき習高の練習や試合を杉本と見に行っていますが、自分が柔道着を着て教えている夢を見ます。夢でも教えたいほどです。
再会を楽しみにしています。
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