大震災の反響

   今年の年賀状のほとんどに、東日本大震災のことがふれられていました。「こういう年ですから賀状を控えたかった」と述べながら、いつもより丁寧な発信をされる方もいました。

 毎日新聞で新年より連載された「幸福のかたちー3・11後の選択」がおもしろい。1回目は「転落、逃避……故郷再訪」として「71年・甲子園 磐城高 小さな大投手」を掲載。

 当の田村隆寿さんは59歳になっていますが、福島県代表で準優勝に輝いたエース。165㎝の小柄ながらシンカーで勝ち抜き、帰郷時にはオープンカーのパレードで迎えられたそうです。当時、1万通のファンレターが寄せられ、炭鉱閉山に錆びれる町の希望の星でした。

   その後、プロには誘われなかったものの母校や県内私立校に招かれ、三度の甲子園を経験。人気マンガ「ドカベン」になぞられ、順風な人生でしたが……。

 しかし、期待が大きければ大きいほどプレッシャーはつきもの。授業と野球を離れると本音も吐きたくなり酒、マージャン、競馬にのめり込み借金の山。福島駅に車を乗り捨て一家で逃避行、甲子園出場から20年後でした。

 故郷を捨て、友人の借金を踏み倒し、野球仲間すら音信を断った人生。「このまま消えてしまいたい」と何度、思ったか知れないそうです。

 そして、大震災と地元・福島の原発事故。かつて指揮した聖光学院は放射能汚染で練習不足もあり2回戦敗退、自分でデザインしたユニホームを見て泣き続けた田村氏。「何か福島のためにできないか」、そう思った氏ですが、地元では「田村の名前を口にするな」といわれるほど過去は消えていません。

 それでも・・田村氏はどうしても地元、故郷のために何かしたいと、意を決して、かつての甲子園仲間で県高校野球連盟理事長に連絡をとる、「俺が贈るボールを試合で使ってほしい」と。

   2人は40年前に甲子園出場を決めた信夫ケ丘球場に立っていました。そして、田村氏は逃げ続けることをやめ、「小さな子にボールの投げ方を教えるだけでもいい」と、故郷に再び思いを寄せています。

   この記事を読んだとき、遠い記憶が甦ってきました。母校・習志野高校からプロ野球に行った阪急球団(当時)の同級生がいました。同級会では羽振りよく二次会は彼のおごり。

   当時の阪急は優勝する実力ながら、レギュラーで出るほどでした。

 ところが入団5年目、中日にトレードされます。そこには、かつて高校で同級生だった早稲田大出身の谷沢健一選手がいました。セリーグ新人王に輝く矢沢選手と同じ球団にトレードされる、その葛藤は本人しかわからないでしょう。彼はプロ野球を辞め行方不明に。西本監督が「惜しまれた無名選手」と日経コラムに書いたこともあります。

   「人生はトータルで同じようになる。人生の早くか遅くかの違いで、結局、平等な人生があるのではないか」と思うこの頃です。

コメント: 2 (ディスカッションは終了しました。)
  • #1

    福島県 匿名希望 (土曜日, 23 3月 2013 18:09)

    私は現在46歳のいわき在住の男性です。
    実は私は高校時代はいわきからの越境入学で郡山市の安積商業に入学して野球部に入りました。そこに田村隆寿監督(当時)が居ました。入学した年の夏の県予選ではノーシードながらあれよあれよと言う間に決勝戦。相手は第1シードの学法石川…後にも先にも県内最強のチームでしたが初回に先制すると波に乗り見事優勝し甲子園出場を果たしました。残念ながら甲子園では勝てませんでしたが当時一年生だった私達は次は自分たちが…と想わせてくれました。その年の秋、突然の監督辞任しチームも勝つことさえも難しいチームになってました…
    今思えば田村監督の練習は確かに厳しい内容でしたが県内はもちろん東北、果ては全国でも勝てるチーム造り上げをしていた様に思えます。全国制覇をあと一歩で逃した経験者だからこその練習内容だったのでしょう。今は関東のコンビニで働いているとの情報を見ました。今後もしもまた野球人として敏腕を振るっていただき東北念願の深紅の優勝旗の白河の関ごえを果たしてそれが福島県であることが私たちにとって切実な想いです。

  • #2

    コバルトブルーに憧れて (日曜日, 18 9月 2016 01:34)

    私は田村さんが甲子園で準優勝された数年後にいわきに生まれました。毎年夏が近づくと、磐城高校OBの祖父や父、その友人たちが、昭和46年の『コバルトブルーの奇跡』の話しで盛り上がっていました。私は野球はやりませんでしたが、祖父たちの影響で平球場や開成山球場、信夫ヶ丘球場で磐城高校の応援をしていました。小中学校の先生たちは口をそろえて、「田村さんのように勉強も部活も両立させて、磐城高校に入学するように」と指導されていました。田村さんが安積商業で甲子園に二度出場したあと、母校磐城高校に戻られてたった三年で甲子園に出場したときは、県大会決勝が平球場だったこともあり、いわきの街は盛り上がりました。残念ながら、甲子園では勝てなかったものの、磐城高校入学して野球をしたいという野球少年はかなり増えました。田村さんが聖光学院に移られた年に、私は磐城高校に入学しましたが、名将田村の余韻は学校内に残っていました。そんな憧れの人が福島に戻ってくる日を私は待ち望んでいます。どこの高校でもいいので、とにかくユニフォームを着てください、と願う奴はたくさんいます。

東銀座出版社 電話03-6256-8918

〒101-0061

東京都千代田区三崎町2-6-8

大室ビル402号

シニアのための自分史講座

人生の記録を自分史に残しませんか? シニア向け講座を開講中。

7月15日、TBS『あさチャン!』「やさしい文章教室」が特集

されました。