この1月8日は、「にごりえ」や「婉という女」「キクとイサム」「真昼の闇黒」などで知られた、映画監督の今井正氏の生誕100年にあたります。
戦後の三大巨匠といわれた監督ですが、当社からも『今井正 全仕事』という本を出しています。ちょうど出版の時期、監督最後の映画「戦争と青春」が同時進行中で、映画上演の活動中に倒れ、亡くなったのでした。
本の編集中、いくつかのエピソードに出会いました。
「橋のない川」は原作が住井すゑさん。監督が映画化し、本とともに大ヒットしていましたが、住井さんと監督の対談を企画しました。実はお二人、映画化ののち音信不通でケンカ状態らしい。ともに反戦家として活躍、仲の良さも知られていたのですが。
映画「橋のない川」に、未解放部落の少女がヘビを振りまわして友だちを驚かせる場面があります。原作者の住井さんがこの場面に怒り、監督に抗議の文を雑誌などに書いていました。それから数十年、お二人は口をきいていないといいます。
対談は住井さんの自宅、茨城県の牛久沼ほとり。電車で向かう途中、監督は束のような資料を読み、「何をいわれても反論できるように」と、緊張していたのを思い出します。
いよいよ対談が始まります。例の場面の話になりました。
監督がいいます。
「あの場面はヘビに見たてた縄なんですが」
住井さん。
「あら、そうだったの。わたし映画、見てないのよ。ごめんなさいね」
この会話だけで決着です。
映画を見た部落解放同盟が住井さんに報告、「部落の女の子を差別した」と抗議したのを信じてしまったのが、事の真相でした。このあとは、解放同盟が住井さんの前に日本刀で脅したことなど裏話があったものの、監督は分厚い資料を封したままでした。
用意されていた手作りの料理とお酒をごちそうになり、庭の柿までお土産に持たせてくれた住井さんの心遣いでしたが、帰りの駅で「僕は酒を一滴も飲まなかったよ」と聞き、お酒好きの監督のためワンカップを買ってきたのでした。
戦後間もない東宝争議は「来なかったのは戦車と軍艦くらい」といわれた一大首切り反対闘争でしたが、節を曲げなかった今井監督は山本薩夫監督らと東宝映画に戻ることなく、反戦と労働者の映画を作りつづけます。
印象的だったことは、あれほど大監督の調布の自宅がもう崩れそうなのに、「映画のために一銭もないんですよ」と苦笑いした奥さんの微笑みでした。
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