大震災と甲子園野球

   先に当コラムで「大震災の反響」と題して、1971年の甲子園準優勝投手・田村隆寿氏を取り上げました。その第2弾です。

「野球も人生も次がある」と題して報道されていたのは、元ダイエー(現ソフトバンク)の大越基選手(40)。彼もまた89年の夏甲子園で、仙台育英高校のエースとして準優勝していました。

 華華しい甲子園の花形は毎年、生まれるのでしょうが、その後の人生はさまざまです。大越選手も早大に進みますが練習方法に納得できず退部、中退(退学でなく)。米リーグに渡ったのち、1位指名でダイエーに入団。約9年間、投手から外野手に転向しても活躍していました。そして同球団が日本1位になった3日後、突然の戦力外通告で退団せざるを得なかったといいます。

 その大越氏が今年の春、選抜高校野球に監督として甲子園に立ちます。山口県の早鞆(はやとも)高校という古豪ですが、67年以来、低迷していた同校を導きました。

 この間、プロから高校野球監督になるまで同氏はたいへんな苦労を体験します。プロ野球退団後、運良く早大は中退だったので学年継続でき、山口県の私大へ再入学。教員免許を取得し、野球一筋だった生活の立て直し。さらに監督になっても思うように指導がいかず、悩みつづけます。

「元プロという意識を捨てること」「自分が選手だったら」と考えを切りかえ、さらに岩手県の津波の被害を受けた監督を呼び、その悲惨さを選手に伝えてもらいました。大越監督は宮城県の出身、監督室には壁いっぱいに震災の写真を張ってあるといいます。

 わたしはスポーツ万能だと自負していますが、何よりも苦手なのが野球です。どうして、あんな小さくて早い球を打てるのか不思議です。しかし、コラムでも自分の所属する文学サークルでも何回か野球について書いてきました。

 高校生でプロにスカウトされながら、トレードをきっかけに野球界を去り、長い間、わたしたちの前から姿を消していた習志野高校同級生のS君。また、同校出身で元阪神球団の掛布選手より優秀だったと自慢していたが、犠打球で目に障害、しかし母校に帰り監督になって甲子園を踏んだ椎名先生の話……。

 今回の報道でもう一つ、ドキッとしたのが大越氏の早大中退の話でした。結局、退学し手続きしなければ再入学のとき、それまでの単位は継続されないと思います。じつは、わたしも習志野高校を中退しています。その理由は簡単に書けませんので、後日にしますが、都立の定時制に再入学するとき、やはり今までの在学と単位が認められました。

 さまざまな原因で進学を断念する若者に伝えたい。何よりもいっとき、退学を保留してみること。それでも辞めるなら停学や休学、さらにだめなら中退の手続きをしてほしいのです。長い人生のなか、学生という特別な時間と雰囲気を大切にしてほしいし、免許や資格制度の強い日本では、再チャレンジの権利ともなるのです。

 先のプロ野球退団の同級生S君が、久しぶりにクラス会に出てきたのは20年を過ぎていました。立派な救命救急士で活躍していたのに、かつての栄光が邪魔したのでしょうか。彼はわたしにいいました。「いやー、久しぶりだな。俺が一番心配していたのは、君の高校中退だったんだ」

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