1年後の「3・11」

  今年も東京湾の干潟保全のため、三番瀬市民調査が3月から始まりました。ところが初回は悪天候で延期、来月になってしまいました。しかし、この調査の中心になっている中山敏則氏は、調査中止の合い間をぬって福島県で開かれた反原発集会に参加され、16000人と連帯してきたといいます。その行動力に驚き、どこからエネルギーが湧き出ているのか不思議なほどです。

 あの大震災から1年、文化・文学はどんな力を発揮できるのか、悩みつづけた長い期間でした。歌手や俳優、作家や写真家が被災地を訪れたり展覧会や紙上で発表したり……。しかし、こうした人たちは世に知られた有名人、だから効果があるのでは……。 当コラムや街頭での募金集め、横浜での防災グッズ販売、サウナの支援箱など自分のやってきた震災支援と復興参画のあまりの小ささに、最近では嫌悪感すら覚える毎日です。

 仕事に託(かこつ)けて「関東大震災と朝鮮人虐殺」のような、震災ならいいかと共通点を求めている自分が悔しい。大正時代に起きた大地震で、風評被害からたくさんの朝鮮人、中国人、果ては進歩的な人たちが6000人以上殺された事件を風化をさせないと新たな運動が起きています。

 時代はちがっても地震、災害に遭遇してしまったあとの、人びとの支援は国民性をも表われていると、このたびの東日本大震災で思い知らされました。

 あの日から1年目、全国各地でさまざまな支援と復興の催しが開かれました。

 わたしは義兄を病院見舞いしたあと、JR市川駅(千葉県市川市)のアーケードを歩いていました。すると前方から人ごみを分けて、4~5人のピエロ姿の女性が何か叫びながらやってきます。よくは聞こえなかったのですが、「震災支援の募金をお願いします」とごった返す周囲の注目を集めて、わたしの横を通り過ぎる瞬間でした。

「あら、塚田さんじゃない?」

 最近、被っている毛糸の帽子が顔近くまでおおっているせいか、ピエロも半信半疑でわたしに声をかけてきました。

「えっ、ど、どなたですか?」

 人垣のなかでピエロから声をかけられたわたしは、その人が誰なのか、あまりの変装ぶりにまったくわかりません。

「わたし、わたしよ」

 どこかで聞いたような声ではありますが……。

「すみません、どなたでしょうか?」

 周囲を見渡すと2人の会話に注目が集まり、同行していたピエロさんたちも「誰でしょう」などと囃しています。

 わたしはますます揚(あ)がってしまい、

「だ、誰だかわかりません」

 と、半分、居直ってしまいました。

 すると、

「ハーイ、わたしは」

 その人が自分の名前を告げたとき、またまた動転するほど驚きました。

 荒川昤子氏、地元・市川市に住む女流作家。国木田独歩や伊藤左千夫などを編んだ『房総文芸選集』20巻の一人に選ばれ、小説『訪問者たち』(当社刊)で経営する喫茶店の人間模様を描く、わかりやすい筆ながら情をえぐれる書き手です。

「なに、なに? 荒川さん? ほんと?」

 まさか、あの作家がこんなピエロの格好で震災支援を街中でしているなんて、とても信じられなかったのです。

 うまく書けませんが、顔全体を赤や黄色でペイントし、目の周りなんかは太い色でくるりと色づけされているのです。全身もサーカスでしか見たことのないピエロ服そのもの。きっとプロの演出家の仕業でしょう。

 彼女でなくても、あの格好に勇気を称えたいと思いますが、作家という人間はたいていが奥ゆかしくつつましく、と思いがちですから、人前で芸能人ですら恥ずかしいような変装にうなってしまいました。

 それから、ほんの短い会話でしたが、近くの公園で反原発の集会後、震災支援のため駅前で募金活動をしてきたのとこと。あの奥ゆかしい作家がピエロを演じられる驚きと、自分の震災支援の小ささにオロオロするばかりでした。

「ほんとうに荒川さん? すごい!」

 もう一度、本人と確認できたとき、わたしはポケットからスーッとお札を彼女の募金箱に入れていました。

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