極楽と地獄の夏休み

 もう、小学生の夏休みは終わった。2学期制という学校は、すでに8月20日前後に始業式があるらしい。

 遠いむかし、戦後、間もないわたしの夏休みは、極楽と地獄が同居しているような思い出がある。

 東京下町の昭和20年代、学校のプールとクラスメートとの草野球しか遊ぶものはなかったが、朝、家を出たら腹がすいてどうしようもなくなる夕方まで帰らなかった。

 学校のプール教室はたった1時間の開放だったが、準備体操をする体育館に早くから集まり、汗だくで待っていたのだった。そのプールは、コンクリートが打ちっぱなしのザラザラした、今では見ることもできないもの。隣りの工場から寄付されたという話だった。クロールの選手だったので、それでも少しはみんなより多く泳げた。

 野球だって、戦争で焼けた工場跡地に水溜りや鉄筋がむき出しの、通称「モスリン広場」という草むらだった。全員にグローブはなく、当然、わたしは友だちの借り物であった。新聞紙で作ったグローブは結構、厚手で代用になった。

 中2になる親戚の子が、夏休みの宿題に「太平洋戦争の感想文」を与えられたらしい。野球部の練習に明け暮れていた彼は、夏休みが終わる寸前まで完成できず、半べそだと親が相談してきた。「何か、いい本ない?」

「われわれだって戦争の感想なんていわれたら、たいへんな作業だよ。宿題なんか出さないで遊ばせてやればいいのに、先生も気がきかないね」

 わたしの愚痴ともつかない電話の返答に、その親は回答になっていないと嘆きながら電話を切ってしまった。それもそうだ、宿題に困っている子どもに、先生への忠告をいわれても何の助けにもならない。ましてや、わたしは、「いろいろパソコンで戦争のことを調べたんだって、偉いじゃないか。戦争の資料があまりに多くて、逆に手に負えなかったんだろ。そうなら、そのまま、調べた経過を書いて、『それでも書けませんでした』と、正直に宿題として提出させればいい」

 こんな助言では何の役にも立たなかったのだろう。

 そうだ、わたしなんか、夏休みの2~3日前になって、「ああ、日記帳をつけていない。天気がわからない」「宿題の図画が描けていない」が毎年だった。

 1か月以上つけていない天気図は、パソコンのない時代には調べようがなかった。日記はでたらめでも書けるが、感想文などは本探しからだから間に合わない。泣く泣く姉にお願いして、空想の絵を描いて提出したら、「塚田、おまえがこんな筆づかいの風景を描けるはずがない」と、すぐばれてしまった。樹木の葉を筆でたたくように描かれた絵で、姉の才能に驚きながら提出した盗作だった。

 夏休みが終わった。よほど優秀でない子は、わたしと同じく地獄と極楽を体験したのだろうか。それでも心配はいらない。今、わたしは平均的な社会人になれている。

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