尖閣諸島問題と日中友好

 1937(昭和12)年、中国で起きた南京事件。約2か月にわたって、敗残兵ばかりか市民を大量虐殺したとされ、日本の侵略行為でも特に悲惨な事件として記録されている。今でも事件の有無が一部で論争されているが、張本人の日本軍が撮影した虐殺写真は事実を語っていないか。

 当時、この虐殺にこころ痛めた軍医が紫金山に咲いていた花を持ち帰って日本中に蒔いた。その種が、この国でも毎年、春先に山野に見られる。故人になった軍医と一人の部下の思いは「反戦」だろう。戦後、その花の名前と由来をめぐって、昭和天皇を巻き込んでの新聞投稿合戦があったが、「紫はな」「諸葛(しょかつさい)とわかった。

 やがて時がたち、この話を日中友好の推進に役立てようと、つくば万博で30万袋の種が配られたり、音楽構成「紫金草物語」として全国の合唱団でうたわれている。いまや中国でも、日本からの合唱団と地元合唱団の合同演奏が毎年のように開かれいるようだ。中国の代表団も来日して公演している。(当コラム、「花だいこん」と南京大虐殺参照)

 この運動の創立に関わった一人として、今日の尖閣問題に発した日中関係の対立はこころ痛い。

 たしかに、尖閣諸島は1885年に古賀辰四郎という日本人が政府に貸与を申請し、1895年には日本領とした。国際的にも認められた領土の所有であった。明治時代の話である。

 ところが中国では「日清戦争で日本が不当に奪ったもの」と主張している。1894年に起きた日清戦争(中国では甲午戦争という)は、内紛をきっかけに日本軍が朝鮮に侵略したものだ。時もほぼ同時代だ。しかし、この闘いで尖閣諸島が日本に帰属した講和もなく、中国は1970年代まで中国領土と主張していない。

 領土の紛争は、宗教対立と同じように世界各地で起きる。「たかが小さな島」というわけにはいかないらしい。ここで一番、問題なのは40年前、日中友好条約が結ばれてから一度も正式に所有をめぐった話し合いがされず、双方が「棚上げしよう」としてきたことではないか。そして、両国の報道と政府が「尖閣はわが国のもの」とした一方通行の主張をくりかえすだけで、相手の考えを対比して提示していないことだ。

 双方の主張をともに正確に国民へ知らせ、国際的な機関で判断をゆだねる勇気が必要ではないだろうか。

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