桜と筍

「あら、あんた、こんな所で何してるの?」

「花見だよ」

「みんな友だちなの」

「ああ」

「でも、あんた、顔が赤いわよ。お酒、飲んでるんじゃない」

 高校二年の春だった。

 今は転居してない成田の御料牧場で偶然、会ってしまった姉だった。桜が満開で牧場は上野公園なみの混雑だったが、広い敷地なのにどうして姉と出会ってしまったのか。

 私たちは同級生五、六人と徒党を組んで牧場に花見をしていた。学生服のままだったから、林の奥で酒盛りをしていた。当時は二級酒しか買えなかったから悪酔いでもしたのか、あるいは気が大きくなったのか、一般花見み客の前にごそごそと出てきたとき姉との出会いだった。

 

「高校生のくせにお酒なんか飲んで。ちょっとこっちに来なさい」

 二つ上の姉は、猫が首筋を掴まれるような態度でわたしを説教した。

 学校では誰も文句をいえない地位のわたし、猫扱いしている姉に同級生は驚いていた。

「高校生のくせに制服のままお酒を飲んでいるなんて」

 姉たちも四、五人で花見に来ていたようだが体裁のためか、弟の悪行に怒ったのか、真意はわからなかった。しかし、怒られたわたしは、いつもは学校で威張っている勢いから想像できない猫態度を同級生に知られて形無しだった。

 夕方になった。花見客はほとんど帰っていた。御料牧場は天皇家の所有牧場だから、夜間の夜桜なんか許されていない。なのに、わたしたちは場内にいた。

「この馬がOO様の馬。こっちは雌馬でおとなしいから女性の馬」

 とばりが落ちて誰もいなくなった牧場に馬が引き出されてきた。

 わたしたちが遅くまで牧場に残っていたのは、この馬に乗せてもらうためだった。それも天皇家の馬にである。

 じつは、わたしともっとも親しい博という親友が成田近郊から高等学校に通っていて、

博と中学で悪友だった人が牧場に務めていたのだ。牧場勤務員は誠という人だった。

 博は成田線を使って学校に通っていた。たびたび彼の家に泊まりがけで遊びに行く車中では、他校の上級生から金や煙草をいとも簡単にせびっている光景に出合っていた。牧場に務めた誠はその博と同じように周囲から恐れられていたらしい。中学校の悪友同士らしい。

「悪い、わるい、遅くなって」

 誠はわたしたちを馬に乗せたあと、馬の世話や厩の清掃を終えて帰ってきた。

 そこは誠が牧場内に一人で住んでいる一軒軒家だった。わたしたちは相当、酒を飲んでいたが、誠が帰ってきてからも酒盛りが始まった。どこかで、昼間の姉との遭遇を気にしていながらも酒の勢いがまさっていた。

 チーズが出た。牧場の牛を絞って作ったらしい。わたしは(たしな)まなかったが煙草菊の紋章がはいっている。ほとんどの生活用品は天皇家宮内庁)の配給だという。

 つまみが出された。独身の誠が作るものは限られている。まだ早いのだろうが筍の煮ものだ。輪切りのままだ。醤油で煮た筍だ。他は何もはいっていない。今日、採ったという竹のそのままが大きな鍋ごと出された。

「これだって天皇様のおすそわけだぞ」

 誠は自慢げだった。

 つまみはそれだけだった。まあ、昼間から飲んでいたわたしたちだから、今さら特に何か食べたいわけではなかった。しかし、この筍がとてつもなくおいしい。豪華な料理ではない。味も醤油だけらしい。丸ごとの切り方で竹そのものが噛める。

「おお、これだけで嫁さんがもらえるな」

 あまりのおいしさに冗談が出た。

 あれ以来、わたしの得意料理はぶつ切りで醤油味だけの筍である。

 木造の2DKくらいだったが、牧場に点在しているという他勤務員の宿舎は遠く、周囲は森と牧場で夜は森閑としている。千葉県でも少し都会に住んでいたわたしは、この広い牧場や博の家近くに滔々と流れる利根川が好きになった。

 

 やがて御料牧場は成田空港になった。

 歳月が過ぎ誠は牧場移転とともに那須に移住し、そこで定年を迎えたらしい。周辺の学生に恐れられた牧場勤務員も永年勤続で宮内庁から表彰されたらしい。

 桜の季節になると、あのときの姉の叱咤と筍の煮ものが今も思い出される。

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