正義ということば

「せいぎ? 正義だ」

 ずいぶん久しぶりに聞いた懐かしいことば。いつのころだったか、自分の人生や生き方を表わしていたような言語。青春時代の肩肘はった、しかし、誰にも譲れない生き方としての正義だった。

 

「拘置を続けることは耐え難いほど正義に反する」

 袴田事件で静岡地裁裁判長がいいわたした判決文。

 1966年、静岡県清水市(当時)で起きた味噌会社専務一家4人殺害事件。その被告・袴田巌死刑囚に対する再審開始のなかで使われたことば「正義」。

 一度は死刑判決を受けた元被告の袴田巌氏が、なぜ無罪の可能性を勝ち取り(2014年4月5日現在、検察庁は上告中なので法律的には無罪が確定していない)、再審という裁判が始まる前に釈放までされたのか。

 三審制の日本で最高裁の判決が確定したのち、再び裁判やりなおしを訴える制度がある。再審だ。しかし、この再審は「開かずの扉」といわれ、最高裁での判決を覆しかねない再審はなかなか開始されなかった。一度、決定した判決をひっくり返すのは三審制の意味がない、との法学者がいる。なるほど、時間をかけて3度も審議してきた意味がないのだと。

 実態はどうか。

「(裁判官の)先輩たちが決定した判決を変えるなんて、どうして後輩の自分たちにできるのか」

 同じように多くの裁判官、警察官、検察官など司法経験者の声が聞こえてくる。

 

 新田渉世(46)の名前はほとんど袴田事件判決の日に聞くことはなかった。新百合ヶ丘の町で新田ボクシングジムを運営する彼は、かつて東洋バンタム級チャンピオン。というより、当時は「国立大出のプロボクサー」として知られていた。国立横浜大学からプロに入門した異色の選手だ。

「もっと右を打て」

「ジャブをどんどん入れて廻りこめ」

 かつて、わたしが新田ジムを訪ねたのは昼間だったが、プロをめざす若者たちが狭いジムのあちこちで汗を流していた。

 プシィ、パシィ。パチパチブシュ。繰り出されるパンチの鋭音。ビリーピィ、シッシシュシュシュという縄跳びの床をたたく高音。

「最近はダイエットのためにジムに来ている女性もいるんですよ」

 小柄な体格の新田氏だったが、迎えてくれた笑顔は少年のようだった。

 出版原稿の依頼をすっかり忘れて練習風景に見とれていた。

 彼のもう一つの肩書は、「日本プロボクシング協会袴田事件支援事務局長」。袴田氏を無罪と信じ、プロボクシング協会が支援してきたことは一般にあまり知られていなかった。

 判決当日、裁判所前で映りだされた元世界チャンピオンの輪島功一氏やテレビで発言していたガッツ石松氏の陰で、ひとり泣いていたのは新田支援事務局長だ。

 新田氏は袴田氏の姉・秀子さんと一緒に小菅刑務所に何度、通ったかしれない。でも、親族、弁護士以外の面接は許されていない。それでも、月並みだが、雨の日も雪の日も毎月の面接に新田氏は同行していた。

 なぜ新田氏は、かつてのボクサー同士というだけで袴田支援をつづけていたのか。何度、要請しても面会を断られ、どんな天候でも姉・秀子さんに同行しつづけていたのか。

 再審開始の日、テレビにも新聞にも出なかった新田氏だが、一番、泣いて喜んでいた人は彼にちがいない。

 判決までの破裂しそうな鼓動、胸が息詰まり締め付けられる胸内、どうか、どうか良い決定が出ますようにと神にも祈る心境。前夜はどうだったのだろう。拘置所の袴田氏と同じくらいに、もしかすると彼以上に気が(こう)こうとして寝れなかったかもしれない。

 48年、死刑執行の恐怖とたたかった袴田氏と同じように、「今日か、明日か」と死への恐怖を抱えていただろう新田氏。表面ではスポーツでの指導で気が晴れることもあるだろう。小気味いいジムでのボクシングの指導に熱中できる日もあるだろう。一方ではプロボクシング界で揺れる支援の強弱。自分のジムの運営や経済問題。

 しかし……。再審まで表舞台に一度も立たなかった男がここにいた。

 

 わたしは、えん罪事件支援にいくつか関わってきた。

 最初は三大騒乱事件といわれた愛知県・大須事件だった。林学(故人)という作曲家が創作した歌にほれて手伝った。「大須っ子」「芦別の雪の中を」など大衆歌曲の一級品を作曲した林氏は、この大須事件の被告の1人だった。逮捕されたとき高校生だというから、ずいぶん先進的な青年だったのだろう。

 彼から大森勧銀事件という銀行強盗殺人事件のえん罪を知らされる。この事件も東京高裁で逆転無罪となる。さらに、生まれ故郷で起きていた免田事件の勉強をした。

 一番、長かったのは先に無罪になった布川事件だった。殺人事件の容疑で無期懲役になった2人の被告のうち、親族がいないということで毎月、被告の1人、杉山卓男氏にわたしが千葉刑務所へ面会に行った。20年間余だった。彼ら2人と同学年だったことも支援のきっかけになった。

「塚ちゃん、俺は終電でしか帰れないんだよ」

 布川事件のもう1人の元被告・桜井昌司の父親がいった。

「なんでだよ。息子・昌司は犯人でないと信じているんだから、堂堂としていればいいよ」

「そうはいってもな、塚ちゃん。世間の眼は冷たいよ」

 住まいのある実家から始発で出勤し、終電で帰宅する桜井被告の父親。ときには会社でボイラーのある地下室で夜を明かすこともあったらしい。

「殺人犯のおやじ」

 保守的な田舎の視線が、父親には耐えられなかったのだ。

 桜井家に泊まりへ行ったり、2Kのわが家に泊まりに来たりした。子どもたちも桜井のお父ちゃんには馴染んでいた。しかし、桜井のお父ちゃんは無罪判決を聞けないまま亡くなった。

 

 無罪になった桜井昌司氏らは今、身を賭して袴田事件や未解決の名張ぶどう事件の支援に奔走している。今回の袴田事件えん罪、再審開始は桜井氏ら元被告や無償で支援した弁護士らがいた。検察に隠していた証拠を開示させ、DNA鑑定の高度化が再審開始の力になった。

 テレビにも新聞にも報じられない、どこにも報じられない、ほとんどの人に知られることのない新田渉世(勝世)氏のような「正義」の人がいることを、わたしは記憶にとどめている。

 

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