親父の期待

「久しぶりだね、ツカダ君。君のお父さんはとても残念がっていたよ。君がオリンピックに出れるんじゃないか、と期待していたのに高校を中退したんだって」
 40数年ぶりにクラス会で再会した越前谷君に言われたのだった。
 親父は病院に住み込みで働いていた。私たち家族もかつては病院に同居していたが、小さな家に越していた。越前谷君は東京下町・亀戸の病院近くに大きなガラス工場を経営していて、私たちが転居後も親父とはよく風呂屋で会っていたらしい。

 私の親父は警視庁の警察官だったが、戦時中に家族を実家の熊本に疎開させ、東京で単身赴任していた。
 しかし、子ども恋しさに警察官を辞め、家族のいる故郷に帰郷してしまう。今から考えると公務員の職を捨てて、もったいない話であった。親父の人生はここから大きく変わってしまう。
 警察を辞めた親父は、実家が大きな地主だったので、その伝手もあって材木店に勤められた。しかし、「おい、こら」と威張っていた警察官と違って下働き。肉体労働は酒浸りの生活に追い込み、母は保守的な農村習慣と酒におぼれる夫に疲れ、子ども5人を連れて東京に夜逃げする。
 この夜逃げ騒動をのちのちまで私たちは母から聞かされたが、誰も相談する人がなく夫の留守をはかって実父母のいる東京に逃げ帰った母だった。
 またまた親父は単身暮らしに耐えられず家族を追って上京するものの、昭和25年の東京は戦後の影が色濃く、仕事はなかなか見つからなかったらしい。1日ごとに職を探す日雇い人夫、夜警などを転転とする。
 中学生、高校生になったわたしは酒におぼれた親父を避けるようになった。病院の仕事も雑用で誇りが持てないらしく、いつも上司の悪口を聞かされた。こんな親父をどうしても尊敬できなかったから、自分の生き方や小さい頃から習っていた柔道のことも相談したことは一度もなかった。

 足立区で講座を開いている文章教室が文学散歩へ行くことになった。教室の近くにある石新井大師である。
「えっ、西新井大師‥‥」
 この大師は関東三大大師といわれるほど有名だが、そうだ、私の親父は正月に必ず大師さまに行っていたようだ。
「元旦からどこに行っていたの?」
 家族に聞かれると西新井大師、川崎大師と答えていた。
 すでに親父が亡くなって30年近い歳月が流れた。
 西新井大師を散策してみると大きな本堂を囲んで、鯉のいる池や水子地蔵、弘法大師の像などがあった。真言宗總持寺というから、わが菩提寺とも宗派はちがう。なぜ、親父は西新井大師、川崎大師に必ず正月に来ていたのだろう。
「田舎の家の裏に小さなお大師様があって、そこをよく思い出すらしいわよ」
 姉の記憶である。
 思うような仕事に就けなかったジレンマに遠い古里を重ねていたのだろうか。
 生涯、自分の仕事に誇りを持てなかった親父は、ある時から私に余分な期待をするようになった。五人のうち、たった一人の男子だったからかも知れない。
 親父が警察官だった時に、剣道2段の腕前だったことを自慢したのが幼なく遠い記憶にある。親父はわたしに警察大学か防衛大学に進学してもらいたかったようだ。叶わなかった自分の人生を託すように。そして、小さいころからわたしは柔道の道に進んだ。柔道でたしかな成績もあったが、親父の望みを知る由もなかった。
 しかし、学校を中退したわたしはまったく違う道を歩みはじめた。小学校の同級生・越前谷君に親父は嘆いたと聞いたとき、かつての悲しい父の面影が目の前に浮かんできた。その親父の年に近づきつつある今日、どうして、もっと彼の悩みや期待を受けとめなかったのだろうかと、西新井大師に来て思った。
 西新井大師が冬の夕暮れに包まれようとした景色に、いつか親父と一緒に風呂帰りに見た光景が重なっていた。

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