夏の陣いかに

「すいません、ここは高崎海岸ではないでしょうか」
 真夏の海にひとり、砂浜で坐っていたわたしに背中から声がかかった。
「ええ、そうかも知れません。あの山が高崎公園というので」
 初老の夫婦は孫たちを連れて海水浴に来たらしい。
「もう、30年も前になりますが毎年、ここに来ていたのですがね。あまりの変わりようで迷ってしまいました」
 南房総地方の夏はいつごろからこんなに寂れてしまったのだろう。
 老夫婦によると、当時の海岸は場所がとれないほどの人ごみで売店が何軒も立ち並び、子どもたちが迷子にならないか心配するほどの賑わいだったらしい。それが今夏はどうだろう。
「でも、マイビーチのようでステキだわ」
 まだ小学生らしい孫たちは、老夫婦の哀愁を気にすることなく泳ぎ始めた。
 昭和30年代の夏、わたしもよく房総の海に遊んでいた。姉が勤める大手時計メーカーが契約している民宿が各地にあり、太海や富浦の海にひとりで1週間ほど泊まっていた。行き帰りだけ姉が同行してくれたが、小学校にはいるかどうかのわたしは、日がくれるまで泳いでいた。民宿や近くの子どもたちとすぐ仲良しになって、ガキ大将よろしく海に遊んでいた。
 太海の仁衛門島という頼朝が隠れていたらしい離れ島は、当時も高い渡し料で観光客を運んでいたが、わたしたちガキ連は手ぬぐいを頭に括りつけて泳いで渡った。何回も渡ったが小さな島には何もなく、大人がなぜ高い料金を払って乗るのか不思議だった。
 今も渡船はやっていて時折、テレビで放映しているが、片道か往複か聞き逃したが1500円だと知って驚いた。たった5分余の海道である。
 富浦は内房でいつも波が穏やかだった。駅から民宿までの道のりが遠く、夏の暑さに辟易しているころ、珍しい手掘りの隧道があって休憩になる。冷房のない当時は別世界で、用事もないのによく隧道で遊んでいた。
 この民宿には、わたしより1歳年上の女の子がいて、とてもやさしかった。いつもはガキ大将だが、彼女が一緒に海へ行ってくれるときは何だか泳ぐ時間も損をするようで、砂浜でいつまでも話していたかった。
 当時、たしかに民宿だって満杯だったし、海岸も人であふれていたように記憶している。夜になると、どこから集まって来るのかと思うほどの人で、花火がいっせいに海を明るくしていた。民宿の女の子とよく出かけたが、まるで海ホタルと火花が競演しているかのようだった。
 安房郡鋸南町に雇用創造協議会という、少し凝った名称の団体がある。国や町の助成金をもらっているので半官半民のような「町おこし」団体である。
 半年前からここ鋸南町に仮仕事場を持ったわたしは、役場に情報を集めに立ち寄った。農業や漁業の実態が知りたく担当者に聞きに行ったのだが、反応は芳しくなかった。手ぶらで帰ろうと思ったら、役場の隣りに雇用創造協議会という建物があった。何やら凝った名称の団体だったが、「ひやかし」も半分あった。
「そうですか、町おこしに興味があるんですか」
 役場の人とは違って、渡した名刺からすぐパソコンでわたしの職業を検索し、自分たちの仕事内容や方向をていねいに教えてくれた。6~7名の常勤者は多くがUターンや都会からの移住者らしい。
 民間だからとはいえないが、彼らは役人と違って方針がはっきりしているし、行動力が早い。一番の成果は廃校になった小学校を「保田小学校道の駅」に大改造し、地元産売店や教室風宿泊施設に作り変えてしまった。億単位の仕事だと思う。何回かテレビでも紹介されている。もちろん雇用も生み出している。
「ツカダさん、今度、海のゴミ拾いがあるんですが参加してみませんか」
 町おこしなら何でも手伝うと公言してわたしだから、断るわけにはいかない。
 小さいころから民宿でお世話になった海でもある。暑いだろうが人のためにもなるだろう。
「海ごみ隊」の催しは、関係者と少しばかりの有志参加で寂しかった。小学生の夏休み体験記になればという趣旨は、ほとんど的はずれになった。20名余の拾い隊の横で大人数のバーベキューが繰り広げられていたのには、複雑な気持ちだった。
「こんな近くで掃除しているんだからゴミは捨てられないな」
 涼しげな海水浴客を斜めに見ている自分が少し情けなかった。
 しかし、ひと仕事終わったあとに聞いた話に驚かされた。京都から招いたという講師の話は、中途半端なわたしに衝撃をもたらせた。
「京都では大きなお祭りでゴミ回収を呼びかけています。空き缶を持って来るとコインがもらえます。今では定着してほとんどゴミは捨てられません。
 ビニールは200年、ペットボトルは500年、自然に還るまでかかるんです」
 仮仕事場という安易な腰かけではなく、本格的な町おこしに何ができるか。あの賑やかな海水浴場は復活できないか。魚は新鮮だし漁協直営の食堂も人気がある。「見返り美人」で知られる菱川師宣浮世絵や、北斎に影響を与えたという「波の伊八」の彫りものも知らせたい。
 晩夏の海ほど寂しいものはない。大勢の子どもたちが遊んでいた海岸は誰もいなくなり、肌寒い海風が首元にはいりこむ。遠くではツクツクボウシの声も掠れ気味だ。そんな光景を吹き飛ばすような町おこしがしたい。
 徳川と豊臣の大阪夏の陣は権力争いだったが、房総の夏の陣は街おこしの「のろし」にしたい。

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