町おこし苦戦記  挑戦する団塊男

 道は大きく左にカーブしていた。ほぼ直角に曲がっている道路、車を運転しているわたしに周囲を見渡す余裕がない。休日以外めったに混雑しない街の一角だが、車窓をちらっと見たら異様な文字が飛び込んできた。
 道路のフェンス内側に突然、「憲法……」「平和……」というような文字が視界にはいった。あれ、あの人がいる。写真家の中村幹雄さんだ。もしかしたら画家の溝口七生さんもいたのだろうか。安房郡鋸南町に展開している「憲法9条を守る会」の人たちだった。
 この街に移住して1年余、孤独な転居だからほとんど知り合いはいない。ただ、海が好きというだけで都会から転居してきたわたしにとって、この町は意外と閉鎖的だった。
 数少なく声を交わせるのは町福祉施設の「笑楽の湯」という温泉だった。ここは町経営の保養施設だが、平日はあまり利用者が多くない。だから毎日、利用していると係の人が馴染みになってくれた。
「塚田さん、町内在住者は300円だからね」
 観光客など外部の入浴料は500円だ。
 わたしの知り得た、もう一つの数少ないつきあいが、町にNPOと同じような組織である「鋸南町雇用創造協議会」という、なにか意味ありげな名称の特殊な会との出会いだった。彼らは、国の地方創生事業という地方活性化のため、助成金を活用している雇用拡大を目的にした組織だ。
 ここが中心になって廃校を改造した「道の駅・保田小学校」を開設している。廃校をリサイクルしたこともあってテレビや雑誌で取り上げられ、安房地方観光増の一大拠点に発展している。
 ところが昨夏、転居して初めての海水浴に出て驚いた。
「あの、ここは高崎海岸で間違いありませんか? 30年ほど前、ここに来ていたのですが、あまりの変わりように分かりませんで……」
 年配の家族連れが、海岸で坐っていたわたしに聞いてきたのだった。
 聞いてきたおじいさんによると、この海水浴場には何軒もの出店が並び、場所とりにも苦労するほどの人混みだったと言う。ところが、ようやく見つけた昔の海にはパラパラの人で出店は1軒もない。別の海岸に迷ってしまったのかと、私に聞いてきたのだった。
 小学生時代から房総の海に海水浴へ来ていたわたしも、ここ房総一帯の夏休み情景があまりにも変わっていたのに驚くばかりだ。せっかく転居したのだから、昔、遊んだ海を次つぎ見て回わったが、1か所を除いてどこも閑散としていた。たまに遠く固まった人群を見つけると嬉しくなって近寄って行く。そこには臨海学校の生徒がいるばかりだった。
 調べてみると鋸南町は千葉県で1番、関東でも2番目に過疎化の進む自治体ということだった。自分が転居した町が静かで自然が多く、大好きな海も透き通っているのにホロホロしていたわたしだったが、商店街も住宅も空き家ばかり。駅前通りの店も開いているのは1、2軒、メーン通りでも半数以上が閉店している。
「雇用創造協議会」の要請で「やさしい文章教室―自分史から観光ガイド」という、東京などで開催している講座を「観光ガイド」だけプラスして、鋸南町で開くことになった。
「町の名所を案内しているガイドさんたちに案内パンフレットを書けるように指導してほしい。みんなボランティアでガイドしているが、名所旧跡案内書のようなものを作れたら喜ばれるのだが……」という要請だった。
 町の人口減少、海水浴場の閑散さ、商店街はシャッター通り、第一産業の農業、漁業の後退など、どれをとっても暗い話ばかりが見え、聞こえてくる。
 わたしが講師をしている文章教室からの参加者も含め、講座は小さな部屋も満席になり、ひと安心した。東京などからの参加者には1泊2日の小旅行を企画した。
 この小旅行でもいろいろな発見ができた。以前から調べていた石川啄木の夫人・節子と娘が結核療養のために来ていた館山市八幡。ここで結核を恐れた町の有力者が節子家族を追い出そうとした。家を貸していた片山カノという元武士の妻が、啄木夫人と娘たちを守った話は知られていない。澤地久枝『石川節子』や平本紀久雄『コルバン夫人』の書物に詳しい。わたしが手がけた本、成瀬博士というトヨタ自動車1号車のギア開発者伝記『心の灯台』、片山カノは彼の祖母にあたる。
 そんな小さな成果があった。ところが、文章講座の開催で安心したことと、町の過疎化に苦悩している町の実態がどこか複雑に交差し、なにかスリリと気持が晴れない。
「たった1回の講座でどんな役に立ったのだろうか。町の活性化に少しでも波紋を投げかけられたのだろうか」
 悶悶とする毎日があった。
「よし、自分が得意とする編集の仕事でなにか町に役立つことをしよう」
 そう決意したわたしは、町の内外に発信する情報紙を企画する思いに至った。
 どこから始めようか、なにから調べたらいいのか、誰に相談するのか? 冒頭、道路で出会いアトラクションを展開していた「憲法9条を守る会」の人たち。その一人が、千葉県で長く開催されている「平和美術展」の実行委員長・溝口七生氏だった。元東京都の教員、鋸南町保田学園、隣り町の岩井学園で教鞭をとり、退職後も町に住んで美術指導を展開していた。本人は全国の大手デパートなどで個展を開き、すこぶる評判であった。
 溝口氏の絵は海や海岸の絵が多く、大きな流木さえリアルに描き、画布から飛び出すような迫力。その写実性に少なくないファンが全国にいるようだった。もちろん千葉県でも有力な描き手として知られている。
「平和を守ることと町づくりをすることは同じだと思う。人間が幸せになることとは平和であって豊かになることだから」などという持論をぶつけながら、溝口氏や写真家の中村幹雄氏に町の活性化を訴えていった。
 打ち合わせにもわざわざ参加してくれたのは東京農大の木村俊昭教授である。北海道出身の氏は大学卒業後、小樽市役所に就職する。公務員ながら(本来は公務員だからこそ)さまざまな小樽市活性化に取り組み実績をあげ、やがて内閣府へ出向し、全国の町おこしの指導に当たっている。
 ところが、こうして反応し、協力してくれるばかりではない。むしろ、「よそ者」がやっているというのだろうか、「わかりました」と返事はいいが、一向に反応してくれない。
 農業や漁業は町の基本産業だから情報紙の基本に据えたい。
「農協は金融中心だから農業改革はあまり把握してないよ」「道の駅は土日に人が集まっているようだが、どうせ業者が儲けるだけだろう」「若い人は高校卒業すると、みんな町を出て行くから人口は減るばかり。過疎化は止まらないね」「他から企業を誘致したいと町では言っているがゼロに近いね。そんな奇特な会社はないよ」
 暗い話ばかりだ。
 実際、わたしが転居するために空き家を捜した。過疎化が激しい鋸南町なら空き家はたくさんあるだろう。調べると600、700軒余の誰も住んでいない家があるという。そこで町役場に直接、行って聞いてみた。
「たしかに空き家はたくさんあって、空き家バンクというシステムを作っているんです。しかし、貸してもいいと登録している家は1軒だけなんですよ。借り手は20人くらいいるんですがね」
 空き家バンクというシステムは作っても機能していないのか、機能させていないのか。
 悩んでいても仕方ない。木村教授が言うように多くの人を巻き込むこと、若い人や女性の参加を大切にすること、進んだ経験から貪欲に学ぶことである。
 企画の途中、ある新聞社の記者が「こうした取り組みは貴重だ。どこも過疎化に苦しんでいる。情報発信で町おこしをしているところは少ない。成功させて近隣の見本になるといい」と、今後も取材に来てくれるという。
 彼から教わった隣りの市でやっている会社を捜して見学した。ダイビングセンターはサメを餌付けして大はやり、網を破って魚を食い荒らし、漁師を悩ましていたサメをダイビングの売り物にした商売。流行らない公共宿泊施設をお化け屋敷に改造して、子どもたちに人気喝采になったリゾート施設。わたしが狙う情報は、こうしたすばらしい発想で活気づく情報も伝えたいと思っている。
 房総地方で唯一、夏に人気を博している館山市・沖の島という小さな観光地はなぜに人気があるのか調べていない。ここにも、きっと町おこしのヒントがあるだろう。
 だから、「磯焼け」して魚が少なくなったという海を専門家に調べてもらいたいと、東京海洋大学(旧東京水産大学)館山セミナーにも飛び込みで訪ねた。「国立大学なんだから漁民が困っていることに協力すべきだ」と半分、脅しのようにお願いしている。
 2018年春、情報紙は創刊号をめざしている。お年寄りのために活字を大きくした紙媒体と、町外の全国、海外へ発信するためにインターネットを駆使して企画しているが悪戦苦闘している。
「野水仙つうしん」とみんなで決めた名称はどうだろうか。戦時中、花禁止令で絶えそうになった水仙をなぞって船出する。

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