どうして、こうも多くの人が「わたしには文が書けない」「作文が苦手」と考えているのでしょう? 手紙でも苦手という人は少なくありません。
たぶんに学校授業の悪影響ではないでしょうか。強制的な作文、点数競争の漢字テストなどが、どこか頭の片隅にあるようです。無着成恭先生のような「楽しい綴り方」、黒柳徹子さんが描いた『窓際のトットちゃん』の自由学園。そんな、書くことが生きることに役立つ、楽しい文章教室が少なかったから、みんな作文とか文章に抵抗があるのではないでしょうか。
ところが、S氏のように気がついたら次つぎに奥さんのことが書けたというように、まずは書くことの抵抗をなくすことが大切です。
次に提案したいことは、書けることから書く。書きたいことから書くということです。全体の構想や文章の順序建てに迷うより、順不同でいいのです。小さな子どもが絵を描くときに、事前に構想は練らないでしょう。いきなり、思いついたことや物を描いていくことは多いのです。ところが、子どもの絵のすばらしさ、感性のよさにたびたび驚かされます。
文章を書くということも、もっと自由でいいのです。目次だけを建てていくことでもいいのです。
S氏が奥さんの追悼文に書いた冒頭部分です。
〈妻が亡くなる半年くらい前でした。
「お父さん、ごめんね」と言われ、ビックリしました。
「何が……」
「子ども達をもっと誉めて、自信つけさせてあげれば良かった」
とても反省しているのです。思えば二十数年前、子どもの教育方針について私が指摘したことが、心に残っていたのだと分かりました。子どもへの叱り方で、長男と次男に対する対応が違うと、私が指摘したことがあったのです。〉(以下、原文ママ)
とくに上手な文ではありませんが、残りの人生が少ない奥さんとのやりとりが、わかりやすく伝わります。さらにつづきます。
〈入院した日の夜十一時頃です。
「お父さん、ここは完全看護だから、もう帰ってもいいよ」
そう言われ、心配でしたが、東京に住んでいる長男が帰って来るので帰宅することにしました。
しかし、何か気になります。午前二時を廻っていましたが、気になって、やっぱりまた病院に行くことにしました。私が病室にはいった瞬間です。
「お父さん、良かった、来てくれて!」
妻は咽び泣きました。〉
何のへつらいもなく、誇張もしない。不幸だが、死と向き合っていく奥さんの姿を事実に基づいて書いています。約1万字の追悼文です。文章は、けして名文でなくてもいいのではないでしょうか。
こうして文章が苦手だったS氏は、肩肘はらずに書けばいいのだと気がつくと、書きたいことはたくさんあったと言います。
そうです、文章が書けない、いい文章が書けないと思っている人は、書くテーマが見つからないという人が多いようです。
しかし、書くテーマは、その人が生きてきた分だけあるのではないか、と思っています。20歳より30歳、60歳や70歳ならさらに書くことはたくさんあると思います。それだけ、人生を長く生きてきた証明や確信が誰でもあるのです。
なぜ「書くテーマがない」「自分なんかに書くことはない」と思ってしまうのかです。国を動かすような大事件、マスコミを賑わす体験、地域で話題になる話、学校で表彰される成績……、こうした大事件や大話題がないと書けないと思っていませんか。
S氏が次に書き始めたことは、自分の息子のことでした。
〈「疲れて体が動かない。その時はトイレに行くが、便座に座ると眠ってしまうので立ったまま五分くらい休む。ある時、トイレで立ったまま寝てしまい、ヒザから前のめりに倒れてしまった」
「レジを打ちながら眠ってしまい、レジに頭を打って気がつくことがたびたびあった。お客さんに、大丈夫かとよく言われた」
三六歳になる息子が、一二年間勤めた外食産業ファミリーレストランをようやく辞めてくれました。わたしが再三、要請して辞めてもらったのには、うつ病や過労死、自殺を心配するほどの実態があったからです。〉
息子の体を心配したS氏は、息子から聞いた話を綴りました。聞いたままのような文がつづきます。
〈日曜日の朝四時、わたしが様子見がてら店に行ってみると、息子の顔が真っ青で血の気がなく、意識はもうろうとしているのです。体を動かすことも大変そうでした。前日昼一二時よりわたしが訪ねた朝四時まで働きづくめで、すでに連続一六時間。それでも終れず、まだ働かねばならないと言うのです。
日曜、祭日は睡眠時間が四時間くらい、一四時間の拘束から、さらにサービス残業で二時間余、終るのは午前四、五時だと言います。
どうして、こんな無謀で無法な労働が許されているのでしょうか。〉
まるで、現場をカメラで写してきたような描写です。「事実は小説より奇なり」です。S氏のように奥さんの死、次に息子の職場とテーマは身近にあります。