編集長コラム 塚田一未の「ブックメイト」

やさしい文章教室の講師、東銀座出版社編集長の塚田一未が身近な話題について気ままに語ります。エッセイ執筆のご参考にご覧ください。

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2015年

9月

23日

40年と70年の糸

「もしもし、塚田さんのお宅でしようか、そちらにカズミさんという方、おいでですか」
 おっ、これはオレオレ詐欺かな。ついに家にまでかかってきたか。
「はい、塚田ですが」  
「あの、わたしはセンゲン小学校の同級生で……」
 学校の卒業名簿を使って詐欺を働いている話はテレビでもよくやっていた。
しかし、被害者はほとんどが裕福な家を狙
われるらしい。おかしいな?
 電話の主は本物の同級生だった。40年ぶりに開かれた同窓会の名簿に、わたしの連絡先は空欄だったらしい。
 中学生で東京下町から千葉県に引っ越していたわたしは、その後、結婚や仕事で転居し行方不明の名簿になっていたらしい。話を聞くと、実家のあった住宅まで足を運び探してくれたものの、姉たちも結婚、独立していて手がかりがなかったという。
 同級生の勝矢光信氏、彼は珍しい「一未」という名前を頼りに電話帳をめくってくれたという。ありふれた名字は頼りにならないが、カズミという字も和美、一美、一巳とたくさんある。私自身も自分の名前を見たことがない。
「意外と簡単に見つかった」
 勝矢氏の淡淡とした電話に感謝したが、このときばかりは命名してくれた親にも感謝したのだった。

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2015年

9月

01日

洟垂れ(はなたれ)少年

「おう、みんな元気だったか」
 50年ぶりに会った郡司君は秋なのに派手なアロハシャツを着ていた。やくざ風な格好で小学校のクラス会に初めて出てきた彼は、遠い昔の面影がまったくなかった。
 わたしの成績は下から数えた方が早いほど悪かったが、彼はさらに低かった。相撲もドッチボールも相手にされなかった。
 戦後、間もない生活は、給食のコッペパンと脱脂粉乳のミルクだけが唯一の楽しみだった。グローブを持っていないのは数人だったが、その中にわたしと彼がいた。
 わたしは運動神経の良さで少しみんなから一目おかれていた。しかし、郡司君は「洟垂れ」と呼ばれ、「いじめ」にあっていた。
「郡司を泣かせたのは誰だ、許さないぞ」
 貧しい彼にどうしてか同情して、いつもかばってやった。彼はどんな時も黒い大きな学生服を着ていた。その服で洟を拭くから袖がピッカピカに光っていた。

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2015年

1月

23日

親父の期待

「久しぶりだね、ツカダ君。君のお父さんはとても残念がっていたよ。君がオリンピックに出れるんじゃないか、と期待していたのに高校を中退したんだって」
 40数年ぶりにクラス会で再会した越前谷君に言われたのだった。
 親父は病院に住み込みで働いていた。私たち家族もかつては病院に同居していたが、小さな家に越していた。越前谷君は東京下町・亀戸の病院近くに大きなガラス工場を経営していて、私たちが転居後も親父とはよく風呂屋で会っていたらしい。

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2014年

7月

02日

正義ということば

「せいぎ? 正義だ」

 ずいぶん久しぶりに聞いた懐かしいことば。いつのころだったか、自分の人生や生き方を表わしていたような言語。青春時代の肩肘はった、しかし、誰にも譲れない生き方としての正義だった。

 

「拘置を続けることは耐え難いほど正義に反する」

 袴田事件で静岡地裁裁判長がいいわたした判決文。

 1966年、静岡県清水市(当時)で起きた味噌会社専務一家4人殺害事件。その被告・袴田巌死刑囚に対する再審開始のなかで使われたことば「正義」。

 一度は死刑判決を受けた元被告の袴田巌氏が、なぜ無罪の可能性を勝ち取り(2014年4月5日現在、検察庁は上告中なので法律的には無罪が確定していない)、再審という裁判が始まる前に釈放までされたのか。

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2014年

4月

07日

合評をきっかけに

「東京見物、どこへ行きたい?」
「まず靖国神社、近くの皇居、それから」
 故郷・熊本の叔母を案内しようとしたときの会話だ。叔母は父の妹で、戦死した弟が靖国神社に奉られているからだ。
 案内するわたしの心境は複雑だった。
 ある例会で、「夏が来れば思いだす」という文章に対して質問と意見が出た。

 簡略すれば「戦争に巻き込まれた責任の一端は国民にもあるというが、戦死した父は犬死だったのか。一兵士にも責任があるのか」と。

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2014年

4月

02日

先輩からの手紙

「入社の採用が決まりました。打ち合わせに来てください」

 木造二階建ての古い事務所へ出向いた。

「給料は8000円ですが、昼食は共同の食堂で支給します」

 腰痛のため長時間勤務に耐えられなく、アルバイトを繰り返していたわたしは、出された条件もほとんど記憶になかった。何しろ安定した仕事に就きたかった。

「わかりました。よろしくお願いします」

 回答したものの、よくよく考えてみると薄給も薄給すぎた。

 1968年当時、少ない給料のアルバイトでも14000円をもらっていた。アルバイトの半額である。うたごえ運動の新聞や雑誌を編集する仕事というので、まだ盛んだった歌声喫茶の歌集か何かを作るのかと思った。

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2014年

3月

31日

桜と筍

「あら、あんた、こんな所で何してるの?」

「花見だよ」

「みんな友だちなの」

「ああ」

「でも、あんた、顔が赤いわよ。お酒、飲んでるんじゃない」

 高校二年の春だった。

 今は転居してない成田の御料牧場で偶然、会ってしまった姉だった。桜が満開で牧場は上野公園なみの混雑だったが、広い敷地なのにどうして姉と出会ってしまったのか。

 私たちは同級生五、六人と徒党を組んで牧場に花見をしていた。学生服のままだったから、林の奥で酒盛りをしていた。当時は二級酒しか買えなかったから悪酔いでもしたのか、あるいは気が大きくなったのか、一般花見み客の前にごそごそと出てきたとき姉との出会いだった。

 

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2013年

12月

02日

離島病院奮戦記の今

 宮城県網地島を舞台にした『離島病院奮戦記』の電子書籍版の配信が始まった。東日本大震災後の書き下ろし原稿を加えた増補版だ。

 2008年に出版されてまもなく、「最高の医療で恩返し」という大きな見出しとともに本書を採り上げたのは産経新聞だった。その後も各紙が掲載。TBS「水曜ノンフィクション」でも最高の地域医療と評され、著者の網小医院・安田敏明先生が特集された。

 後期高齢者医療制度、急病患者のたらい回し、地域医療の破綻。不安を募らせる問題ばかりが取沙汰される現代医療の場において、網小医院のあり方がいかに注目を集めているかが伺われた。

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2013年

7月

12日

今井正と電子書籍

「青い山脈」「にごりえ」「橋のない川」と、上げればきりがないほどの名作を残した映画監督・今井正氏。彼の仕事と生活の全体を記した『今井正全仕事』(東銀座出版社発売、1990年初版)は、自身の唯一の本である。

 増刷分も完売し、長らく絶版となっていたが、東銀座出版社の電子書籍第一弾としてこのほど復刊した。今井作品を振り返る決定版として、若い世代にも届けばと思う。

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2013年

2月

25日

柔道女子チームの告発波紋

「おい、みんな聞け! 俺はお前達を殴る時、教育的指導なんかという気持ちではない。怒りがおさまらないから殴るんだ」

 壇上から叫んだのは当時の高校校長だった。

 喫煙が発覚し全校生徒を集め、その前で違反生徒を殴った校長だったが、今の時代では考えられない指導で、まさに暴力だ。しかし、わたしは当時、妙に「本音をぶつけて人間らしい先生」と錯覚してしまった。

 国内のトップクラス女子柔道選手15人が、JOC(日本オリンピック委員会)に園田隆二監督らを告発した事件は、世界のスポーツ界へも波及し、日本柔道連盟は上村会長をパリの世界柔連まで釈明派遣するまでになった。

 最初の告発が1人で昨年の9月、事件が発覚したのが2013年1月29日、実に5か月近い時間が過ぎ、ようやく監督とコーチ、そして強化委員長の辞任があり、第三者委員会の設置がようよう決まった。解決の道筋は始まったばかり。

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2013年

1月

25日

文章は生きる糧に

極寒の地からの手紙

 長年の編集経験を生かして地元で何かできないか、と、考えて始めたのが「ちば(ふみ)倶楽部」という会です。セミプロの人もいますが、ほとんどは初心者。

 さる日、まさに地元で自然保護運動の小さな講演会があり、講師の辰濃和男氏にひかれて会のメンバーと参加しました。朝日新聞「天声人語」を長く担当した著者として有名ですが、この日は都郊外にある高尾山の自然を守る話でした。こんな著名なジャーナリストが、裁判に加わってまで自然保護活動に参加している驚き。

「地元で文章教室をやっている者ですが、作家やジャーナリストの方は書くことはあってもなかなか行動に立ち上がらない。井上ひさし、本多勝一、雨宮処凛さんらは行動派だが、辰濃さんはどういう気持ちで裁判などに参加しているのか」

 わたしの質問は自然保護とかけ離れているようでしたが、めったにない機会、大先輩にぶつけてみました。

「たしかにジャーナリストは中立でなければならない。しかし、どこに対して中立なのかもあいまいだ。自分が書いた内容が正しいかどうか、行動してみないとわからないことがある。だから、可能な限り国民の立場で検証したい」

 おおよその回答だった。

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2013年

1月

23日

俳句の世界

恩師からの俳句集に

 わたしの人生方向に大きな影響を与えた、元高校教師から俳句集が送られてきた。多くは短歌創作だと思っていたら、かなりの俳句もうたってきたらしい。当社から『みんな風に吹かれろ』(加津牟根夫)という既刊があるが、教え子たちが協力して発行なった。その一人を追悼した歌が冒頭に掲載されている、「墓前にて」。

 

自らが選びておきし所とか恒美の墓は風通る位置

とき折に孟宗竹の風に鳴る音あふれゐて恒美はかなし

おい恒美 せんせ来たぞといひし時風に塔婆が音を立てたり

 

 短歌も俳句も素人だが、せっかくの作品だから感想を返信した。番号のついたものが作品で、その下段がわたしの評。

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2013年

1月

15日

音楽の根源とは

ある教授への手紙

 ある音楽教授から寄せられた原稿を読んで、しばらく考えさせられてしまった。素人のわたしが、音楽の起源から現代ロックまでの成り立ちや影響について原稿評とは、とても、おこがましい。しかし、日本でも有数の音楽教育者の提言は、もしかしたら、今日の日本国民のあり方をも問うているかも知れないと思ったのだ。以下、手紙文から。

 

 はじめまして、当社編集責任者の塚田といいます。原稿拝読の途中ですが、一日も早く感想をお伝えしたく筆をとりました。

 この著作が、もしかしたら人類史的に意味があり、後世に長く伝えられるべき内容をもっていると思いました。今日の一般社会に流れ、影響している音楽の本質を憂い、そこに学校教育が大きく関わっているーこの現実を根本から問う著作。ですから、膨大な字数になったのも人類起源に溯り、音楽以前の音の存在から書き起こさねばならなかった。音ー発生、ことばー発達、音楽ー創造といった違いを分析する。まさに音楽・芸術を史的唯物論の立場から存在意義や発展を提起し、民謡やわらべ唄からラップ、ロックにいたる現代音楽への導きとしたいとの意図でしょうか。

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2012年

10月

01日

尖閣諸島問題と日中友好

 1937(昭和12)年、中国で起きた南京事件。約2か月にわたって、敗残兵ばかりか市民を大量虐殺したとされ、日本の侵略行為でも特に悲惨な事件として記録されている。今でも事件の有無が一部で論争されているが、張本人の日本軍が撮影した虐殺写真は事実を語っていないか。

 当時、この虐殺にこころ痛めた軍医が紫金山に咲いていた花を持ち帰って日本中に蒔いた。その種が、この国でも毎年、春先に山野に見られる。故人になった軍医と一人の部下の思いは「反戦」だろう。戦後、その花の名前と由来をめぐって、昭和天皇を巻き込んでの新聞投稿合戦があったが、「紫はな」「諸葛(しょかつさい)とわかった。

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2012年

8月

31日

極楽と地獄の夏休み

 もう、小学生の夏休みは終わった。2学期制という学校は、すでに8月20日前後に始業式があるらしい。

 遠いむかし、戦後、間もないわたしの夏休みは、極楽と地獄が同居しているような思い出がある。

 東京下町の昭和20年代、学校のプールとクラスメートとの草野球しか遊ぶものはなかったが、朝、家を出たら腹がすいてどうしようもなくなる夕方まで帰らなかった。

 学校のプール教室はたった1時間の開放だったが、準備体操をする体育館に早くから集まり、汗だくで待っていたのだった。そのプールは、コンクリートが打ちっぱなしのザラザラした、今では見ることもできないもの。隣りの工場から寄付されたという話だった。クロールの選手だったので、それでも少しはみんなより多く泳げた。

 野球だって、戦争で焼けた工場跡地に水溜りや鉄筋がむき出しの、通称「モスリン広場」という草むらだった。全員にグローブはなく、当然、わたしは友だちの借り物であった。新聞紙で作ったグローブは結構、厚手で代用になった。

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2012年

5月

07日

東京湾三番瀬の放射能調査

  東大や近畿大の教授たちが東京湾の放射能数値を調査していて、一部には高濃度のセシウムが蓄積していることは、当コラムでも取り上げてきました。わたしは東京湾最奥部の干潟・三番瀬(さんばんぜ、船橋市と市川市)の調査を市民団体と協力して10年近くしてきました。主に動植物の生存確認が中心で300種近い生存が認められます。

 今年最初の調査が4月8日に行なわれ、ついでに放射能汚染が心配でしたから、機器を借りて実施してきました。

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2012年

4月

23日

『貧しき人々の群』と宮本百合子

 今日の不況を鑑みると、時代はちがっても貧富の差は少しも変わっていないように思います。ましてや、東日本大震災と東電原発事故による関連倒産などを知ると、生活苦にあえぐ人はますます増えているようです。

 ふと思って、自分が所属している文学同人に投稿した一文を転載します。            

 

 1、『貧しき人々の群』あらすじ

 序にかへて。「小さき泉」の文から汲んだ、強く生きなければならない決意のような、人生はどんなに苦しくても前へ進まなければならないという姿勢を教師に問う形式で書かれている。1917年という日付がある。本文を読み終わったのちに「序にかえて」を再読したい。

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2012年

4月

04日

2つのダムとふるさと

 あなたにとってのふるさと(故郷、古里)はどんなところで、どんな思い出ですか? 今度の大震災でこの言葉が「復活」したことに、特別な喜びを感じるわたしです。

 熊本県の奥地、鹿児島県と宮崎県の県境に近いところに球磨郡はあります。「くまぐん」と読みますが、焼酎がおいしい、わたしのふるさとです。日本三大急流といわれた全長116kmの球磨川が流れ、人吉市から汽車に乗って上流にのぼると、まるで中国雲南省の水墨画を見るような風景です。

 ところが、この球磨川はすでに半世紀前1950年代に3つのダムが造られ、急流、清流とは名ばかりの川になっていました。手で掴めるような鮎は激減し、激流で膝下でも渡れなかった流れは面影すらありません。

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2012年

4月

02日

中学校で武道の必修化

 今年度から中学校での武道とダンスが必須になり、武道は男女とも柔道、剣道、相撲から選び1~2年間、学ぶことになります。3年になると球技の選択が増えますが、武道は2年間で約24、25時間程度です。もちろん3年までつづける生徒はさらに稽古時間は増えますが、多くても40時間弱です。

 ここで問題になりそうなのが指導者の数と質です。今でもクラブ活動で、指導者がいないために廃部になる柔道部は少なくありません。

 日本古来の武道が盛んになると精神力の向上に役立つし、底辺の拡大で柔道の世界的水準が戻ってくる可能性は大きいと思います。この点では女子柔道界の草分けで、筑波大准教授の山口香氏は取材の折、「フランスのように柔道人口が増えるのはうれしいが、指導者不足が心配」と語っていました。

 さらに「全国柔道事故被害者の会」が訴えている、柔道事故の多さとその背景です。

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2012年

3月

29日

1年後の「3・11」

  今年も東京湾の干潟保全のため、三番瀬市民調査が3月から始まりました。ところが初回は悪天候で延期、来月になってしまいました。しかし、この調査の中心になっている中山敏則氏は、調査中止の合い間をぬって福島県で開かれた反原発集会に参加され、16000人と連帯してきたといいます。その行動力に驚き、どこからエネルギーが湧き出ているのか不思議なほどです。

 あの大震災から1年、文化・文学はどんな力を発揮できるのか、悩みつづけた長い期間でした。歌手や俳優、作家や写真家が被災地を訪れたり展覧会や紙上で発表したり……。しかし、こうした人たちは世に知られた有名人、だから効果があるのでは……。 当コラムや街頭での募金集め、横浜での防災グッズ販売、サウナの支援箱など自分のやってきた震災支援と復興参画のあまりの小ささに、最近では嫌悪感すら覚える毎日です。

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2012年

3月

26日

マラソン五輪選考の不透明さ

  2012年、春の高校野球大会(センバツ)が始まり、偶然にしても選手宣誓に石巻工業高の主将が選ばれました。去年の夏・甲子園の同宣誓は、被災地への激励がうたわれ話題になりました。同宣誓は、くじ引きで対戦を決めるときの1番を引いた学校からと決まっていますから、今回の宣誓は震災被災地に配慮してという結果ではありません。

 高校野球の宣誓が偶然だったとしても話題になり、スポーツ観戦の新鮮な魅力が再認識されている中、ロンドン五輪のマラソン代表選考は今回も疑問の声が上がっています。

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2012年

3月

02日

大震災と甲子園野球

   先に当コラムで「大震災の反響」と題して、1971年の甲子園準優勝投手・田村隆寿氏を取り上げました。その第2弾です。

「野球も人生も次がある」と題して報道されていたのは、元ダイエー(現ソフトバンク)の大越基選手(40)。彼もまた89年の夏甲子園で、仙台育英高校のエースとして準優勝していました。

 華華しい甲子園の花形は毎年、生まれるのでしょうが、その後の人生はさまざまです。大越選手も早大に進みますが練習方法に納得できず退部、中退(退学でなく)。米リーグに渡ったのち、1位指名でダイエーに入団。約9年間、投手から外野手に転向しても活躍していました。そして同球団が日本1位になった3日後、突然の戦力外通告で退団せざるを得なかったといいます。

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2012年

2月

17日

江戸川の放射能

 福島原発の放射能汚染の拡散はどこまで広がるのだろうか。

 河口で東京都と千葉県の県境になっている江戸川に高濃度のセシウムが蓄積しているらしい。東京湾に注ぐ下流から約8km地点付近といいますから、JR総武線や京成線が通り住宅が多い地域。どうしてこんなところがホットスポットになっているのでしょう。

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2012年

1月

31日

宗教界の反原発

 仏教、キリスト教を問わず、福島原発事故を受けて宗教界に新しい動きが出ています。なかでも、わたしが驚いたのは曹洞宗が大本山・永平寺(福井県)で開いた脱原発シンポジウム。曹洞宗といえば14000余の末寺を持つ最大宗派、道元を開祖としています。

 この催しで講演したのは同県小浜市にある、真言宗明通寺の中嶌(なかしま)哲演住職。中嶌氏は「原発設置反対小浜市民の会」で40年にわたって活動してきた人。永平寺が偉いと思うのは、他宗派でも反原発の実績ある人なら認め講師に呼んだことです。

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2012年

1月

25日

作曲家・林光の人と音楽

 1月5日、作曲家の林光氏が亡くなりました。交響曲をはじめ、こんにゃく座とのオペラ、社会運動をたたえた歌など幅広い活躍で知られていました。

 氏との思い出が二つあります。

 今から30年以上、前のこと。渋谷の喫茶店で代表作の歌「たたかいの中に」について取材したとき。

「作詞の紙が高橋正夫のポケットにはいっていたと聞きましたが」と、わたし。

「どこからそんな噂が広がったのかね。彼の机にあったのが事実だよ」

 高橋正夫は、「血のメーデー」といわれた1952年の当日に、皇居前広場で警察官によって射殺されたのでした。たくさんの無実の人が逮捕された事件。

 

 ♭ たたかいの中に 嵐の中に 若者の心は美しくなっていく

 

 当時、戦闘的な歌詞の中にも青年特有の情緒が漂い、林氏のメロディックな曲と合って大ヒットしました。

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2012年

1月

23日

NHK(Eテレ)「日本人は何を考えてきたのか」

 1月の日曜日夜、この番組が連続して放映されています。

「福島県の自由民権運動」は、高知県と並んで盛んだった福島県の民権運動の歴史をたどりながら、今日の東電福島原発事故をどうするか問うていました。菅原文太(俳優)や色川大吉(東京経済大名誉教授)などが秩父事件や「五日市憲法」を取りあげ、東北から起きた過去の民権運動の教訓から反原発を提起しました。

「五日市憲法」は旧憲法の市民案ともいうべき画期的な草案で、半分近くが国民の権利について提案されていたもの。福島県出身の千葉卓三郎が中心になって草案され、貧しい東北地方の体験から出てきたといわれています。福島第一原発で苦しむわたしたちに、こうした先人の教訓から学び立ちあがれと提言します。

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2012年

1月

18日

生誕100年の今井正監督

 この1月8日は、「にごりえ」や「婉という女」「キクとイサム」「真昼の闇黒」などで知られた、映画監督の今井正氏の生誕100年にあたります。

 戦後の三大巨匠といわれた監督ですが、当社からも『今井正 全仕事』という本を出しています。ちょうど出版の時期、監督最後の映画「戦争と青春」が同時進行中で、映画上演の活動中に倒れ、亡くなったのでした。

 本の編集中、いくつかのエピソードに出会いました。

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2012年

1月

16日

関東大震災と朝鮮人虐殺

 関東大震災時の朝鮮人虐殺を今に伝えるための出版を企画しているのですが、読者、先生方の率直な意見を教えてください。

1、虐殺の事実を正確に書いた上で、一部であるが彼らを救出、逃亡補助、匿う日本人がいた。たとえば鶴見警察署長、船橋市の農民、荒川区の工場長など。国、軍隊、警察そして自警団など国民すら虐殺に加わっていた大勢のなか、朝鮮人を助けた行為を評価することは現在も大切だと考えますが、どう思いますか。「英雄視すると特別な能力者だからできたといわれかねない」「皇国史観の連中が喜ぶ。彼らは虐殺を小さく見せ、救助した日本人を大きく見せたいのだ」という意見もあります。

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2012年

1月

12日

歌人・松本千代二の回想

 森岡容子さんが自らの師・歌人で「存在」主幹者だった松本千代二を偲んでまとめた回想。松本千代二は歌壇でも高く評価された歌人だったが、気風や人つきあいが一般的でなかったのか、作品ほどには知られていない。
 作者は師の作品や自分の作品を引用しながら、文学に対する真剣な関わりを求めつづけた松本千代二の世界を見事に伝えている。短歌や俳句の世界が、とかくすると、広く読者を獲得できない独自の文壇になりがちだが、こうして一人の指導者を紹介しながら短歌の奥深さを描いてみると、新しい眼が拓けてくるようだ。

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2012年

1月

10日

大震災の反響

   今年の年賀状のほとんどに、東日本大震災のことがふれられていました。「こういう年ですから賀状を控えたかった」と述べながら、いつもより丁寧な発信をされる方もいました。

 毎日新聞で新年より連載された「幸福のかたちー3・11後の選択」がおもしろい。1回目は「転落、逃避……故郷再訪」として「71年・甲子園 磐城高 小さな大投手」を掲載。

 当の田村隆寿さんは59歳になっていますが、福島県代表で準優勝に輝いたエース。165㎝の小柄ながらシンカーで勝ち抜き、帰郷時にはオープンカーのパレードで迎えられたそうです。当時、1万通のファンレターが寄せられ、炭鉱閉山に錆びれる町の希望の星でした。

   その後、プロには誘われなかったものの母校や県内私立校に招かれ、三度の甲子園を経験。人気マンガ「ドカベン」になぞられ、順風な人生でしたが……。

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2012年

1月

06日

西郷四郎の技「山嵐」とは

 久しぶりに再会した、後輩に宛てた手紙からです。

 

 先日は習志野高校柔道部のOB会、懐かしいみんなに会えて別世界のひとときでした。「山嵐」の資料と西郷四郎の文献(松柴辰次郎著『柔道の学び方』)ありがとう。
 わたしは小3から町道場で柔道を習いましたが、「山嵐」はもちろん見たことはありません。話によると肩車に近いと聞いていたので、今度の写真を見て違いに驚いています。右組みで右足をはね上げるとなっていますから、背負い投げに払い腰を崩したような技でしょうか。一番、不思議なのは右手・組み手の位置と握り方が正確にわかりませんでした。相手の右襟に組み手を入れるようですが。
 もし、今ほとんど使われないとすると(教えない)、相手を崩すのがうまくいかないか、失敗すれば後ろにまわられ寝技に持ち込まれるのかもしれません。できれば見てみたいものです。

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2012年

1月

04日

地震と原発の警告はあった

 先日、地元(千葉県習志野市)で「東日本大震災から学ぶもの」という講演会に参加しました。会場あふれる参加者数は関心の高さを示しています。

 元地震予知連絡会会長の茂木清夫氏は、東大名誉教授で国際的に知られている地震専門家、彼もまた地元に住んでいる。

 印象的な話を箇条書きにしてみると、

世界で原発が多い上位10か国はどこも地盤の強固な国土。マグニチュード7以上の地震はどこも起きていない。

地震列島の日本は世界最大級の54基あり、東京電力の柏崎・刈羽原発は日本最大の7基あり、中越沖地震では被災しメルトダウン寸前の状態になっていた。福島第一原発に生かされていない。

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2011年

12月

28日

詩が詩であるために

 詩集『道』を買って読んだ。
 詩は長ながとした散文ではないし、日本固有の俳句や短歌ともちがう。ソネットという定形詩はあるが、詩が詩でなければならないのは、次のような喜多井作品が答えている。

  「背 中」
いつも強がりを言っている人がいる
近寄ってみると
背中に滲んでいるものがみえる
そっと手を添えてみる

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2011年

12月

26日

取材をすることとは アララギ派草創期から

 ここに紹介するのは、小社から出版した『墨東惜春譜』(小池守之著)の作者が自著を書く過程で取材した経験談。そして、アララギ派という日本有数の短歌結社の草創期、無名の青年たちがいかに文学に熱心だったかの足跡である。

 

『墨東惜春譜』を出版して 小池守之
 「ならしの文学ニュース」第四〇五号で、私がまとめていた記録の最初の部分が紹介されたことがあるが、今回、それを『墨東惜春譜行路詩社ノート』(東銀座出版社)という本として出版した。
 この本は、東京・墨田区の本所の地を拠点とした、職工や職人、大学生など一〇人前後からなる、アララギ派の短歌結社・行路詩社の青春群像を記録したものである。

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2011年

12月

21日

好きな作品を

 もっとも評価や良し悪しがわからないのは、自分の文章であり作品ではないでしょうか。他人のものは小さな皺の欠点までわかるのに、自分が書いたものは「これほどの名作はない」と錯覚したり、「初心者でもこれよりいい作品は書く」と落ち込んだりします。

 こうしたとき、わたしには取っておきの解消法、解決法があります。それは、好きな作品をもう一度、読みなおすことです。ずいぶん昔の作品でもいいし、ひと月前に読んだ物語でも効果的です。プロといわれる作家のものでも、友人の作品でも、素人といわれる方の作文でもいいのですが、唯一、それらの作品に心底、感動したものです。

 灰谷健次郎『太陽の子』、水上勉『雁の寺』、五木寛之『さらばモスクワ愚連隊』、宮本百合子『貧しき人々の群』、原民喜『夏の花』、田宮虎彦『花』、星新一『ボッコちゃん』、椎名誠『岳物語』、イ・ユンボギ『ユンボギの日記』、白木恵委子『蛍』、林太郎『小説・安藤昌益』、島崎藤村『夜明け前』、詩集の梅村淳『がんばるの火』、津布久晃司『少年の戦争』などなどが書棚に光っています。

 作品の傾向、統一性はまったくありません。いいかげんな自分の生き方のように。

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2011年

12月

19日

東北大震災と文化、芸術の原点

 常日頃、楽しみ接している文化、芸術、スポーツは何のためにあるのか、ふと考えることがあります。「この文は何に役立っているのか」「あの音楽は誰のために演奏されているのか」と、考えることはありませんか?
 東北大震災が起きて、その救援・支援に日本中が立ちあがりました。もちろん世界の人からの激励も少なくありません。そのなかに、音楽で美術で、朗読や演劇で激励する人びとの報道に触れます。わたしの友人たちも現地にかけつけたり、作品を発表したりして応援しています。
 歌謡曲があまり好きでないわたしも、和田アキ子さんの「あの鐘を鳴らすのはあなた」という歌に泣き、石川遼選手の賞金寄付額に驚き、とてもファッションが好きになれなかったレディーガガさんの勇気に感動しました。みんな震災の応援歌でした。

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2011年

12月

16日

内柴氏の不祥事と自他共栄の精神

 オリンピックで2回も金メダルを獲った内柴正人氏が、教え子の選手を暴行したとして逮捕されました。本人は「合意」と弁明していますが、未成年に飲酒させ、「合意」とはいっても合宿先ですから勤務中ともいえます。法律的とは別にしても、柔道家としてモラルに反したことは恥かしいことです。

 柔道の創始者・嘉納治五郎師範は「精力善用」「自他共栄」として、力を善いことに活用する、相手を思いやる精神を強調しました。勝ってもけしておごらず、相手にも敬意を表することを教えました。強い者こそ弱者を思いやる、この精神からしても内柴氏の行為は残念です。

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2011年

12月

14日

何をもって独裁というのか 橋下大阪市長と維新の会

 大阪府知事と市長が決まって、連日、報道されている。わたしたち大阪住民以外の人にとって、「大阪府構想」や「教育基本条例」といった内容がイメージしづらい。何をもって橋下氏や維新の会が独裁的といわれているのかも、内容として掴みづらい。

 ところが、ある大阪選出の国会議員が「教育基本条例」の中味を話してくれた。これは維新の会が選挙で訴えたことだというから、事実なのだろう。

 この教育条例案は、イギリスのサッチャー政権が打ち出した教育政策と、うり二つなのだそうだ。すでに20年以上前のことになる。

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2011年

11月

25日

共産党の素顔がわかる!

 近刊『動中静有の人』を発行しました。
 上田耕一郎という元共産党副委員長を追悼して、44人が寄稿した本です。亡くなって3年になりますが、彼の考えは脈々と生きていることがわかります。松本善明、工藤晃、山中郁子といった元国会議員など共産党の幹部も書いていますが、ノーベル賞の小柴昌俊氏や元中央公論次長の橋本進氏などの寄稿もおもしろい。
 故人は参議院議員を長く務めましたが、一番話題になったのは、かの田中角栄氏が地元の信濃川河川敷をめぐって暗躍した不正売買を糾弾した事件。
 また、原水爆禁止運動が旧社会党と割れた後、再統一させる苦労など考えの違う人、団体との共同・協同をどう進めるかにたけた人でした。共産党の統一戦線論、めざす民主連合政府の基本路線を築いた人です。

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2011年

11月

22日

踵についた霊

 テレビを見ていて怒り心頭になるのが、朝の「今日の星座・占い」である。

 毎朝、誕生月の星座によって運、不運を占ってみせる。星座によって今日の金運、運のつく色、事故などを教えてくれる。

 しかし、日本人一億人がいるのに12か月=12種類に分類して占って当たるのか。どう考えても科学性がないし、これが多くの視聴者に人気だというから、不思議な現象だ。

 同じようなことに、心霊現象やUFOの賛否番組もあるが、ここでは早稲田大学の大槻教授がエセ信者をこてんぱんに撃破してくれるから、笑って見ていられる。

 わたしは心霊やUFOなどを信じない、根っからの無神論者である。

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2011年

11月

21日

市川文学散歩

 江戸川をはさんで緑多い市川は、縄文時代より人が生活していた歴史がある。さらに、東京に隣接していることから、戦前から保養地・別荘として知られ、多くの文化人が住んでいる。伊藤左千夫、夏目漱石、正岡子規、井上ひさしら文学者から東山魁夷、さだまさしなど著名人も多い。学園都市ともいわれる。

 

大門通りからスタート

 メーン通りではないが、時代を感じさせる古い商店がいくつかある。万葉に関わる掲示板もあり、和歌や歴史の案内が楽しめる。京成線をまたいで約2kの落着いた直線通り。

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2011年

11月

18日

大震災 民族の二面性

「エンジンのトラブルかな?」

「それにしちゃ、音が変だよ」

 船底で作業をしていたわたしたちは異常な音と振動に驚き、とりあえず甲板に上がることにした。

「ほりゃ、見れや、車があんなに揺れてるぞ」 船から岸壁を見ると、魚市場に止まっている車はガタガタと音を立てて左右前後に揺れている。岸壁を作っている何トンという石も崩れ、人びとは叫びながら逃げ惑っていた。  

「こりゃ、大変だ。地震だぞ」

 一九六八(昭和四三)年、わたしは青森県八戸市でマグニチュード7・9という十勝沖地震に遭遇していた。

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2011年

11月

15日

地域を文学する

 わたしは小さな出版社の編集が仕事ですから、本を作る、文章を書く・書かせることを本業としています。とくに得意な分野は「自分史の書き方」「ドキュメント取材の仕方」「市民文化運動のすすめ」などです。

 そこで、自分の住んでいる地域の文学散歩を以下のような案を企画してみました。

 

1)千葉県にあった「戦争と花」物語

 太平洋戦争中、それは昭和16年ころから、食料増産のために花栽培禁止令が出されました。千葉県、長野県、兵庫県でとくに強制されましたが、千葉県では農民の無言の抵抗がありました。これは田宮寅彦の「花」という作品に書かれ、わたしたちの取材、市民運動で童話、映画、演劇、音楽などに創作されています。

 今ではどの家庭にも植えられめでられている花ですら、戦争は心の豊かさも許しませんでした。スイカや梨の栽培も贅沢として禁止されていきました。

 さだまさし、井上ひさし氏など県内在住の人が呼びかけ人になった運動です。

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2011年

11月

14日

後世に残る作家とは?

 「ありきたりの帯文ね」

 宗教にも洞察の深い桐島洋子さんにすいせんをいただくためゲラを送っていたときのこと。なかなか返事がなく、とうとう締めきりがきて電話をすると、事務所が何カ所もあってご本人はようようつかまらない。著作に講演に出演に内外を飛び歩いているらしい。

 「遅くなってごめんなさい。それでも毎晩枕もとにおいて読んでいたのよ。とてもいい本ですよ。わたしも引きこまれて読ましてもらいました。でも帯文はダメね」

 「遂に親鸞に出会えた!」に始まる彼女自身によるすいせん文が後日送られてきた。年間に何十冊と出る親鸞関連本、そのなかにあって林太郎の作品が絶賛されたのだ。彼は『小説・安藤昌益』で森村誠一氏に、『江戸解剖始記・山脇東洋』で養老孟司、童門冬二氏らに「無名なのに新人とは思えない実力」と言われた。

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2011年

11月

09日

振り返る『蟹工船』ブーム

 「蟹工船」ブームでたくさんの報道がされたが、もっとも感心したのは産経新聞だった。

 新潮文庫がどうして急に売れ出したのか不思議がる書店や新潮社、あたかもブーム越しをしたかのような上野駅構内書店の話、コンビニ販売が火付けのような後発の出版社談話。しかし、産経新聞は、ネットカフェと漫画喫茶に張り付き取材して、そこにブームの原因があったと書いた。

 去ること5年前に遡る。ようよう完成した当社のマンガ『蟹工船』を前にして、佐野白樺文学館長から一つの提案があった。

 「若者に利用されている漫画喫茶やネットカフェなどに本を寄贈したい」と。佐野氏は大手インターネット会社の会長でもある。関東地方のチェーン店に交渉し、約1000冊のマンガ本が贈られる。

 時は、共産党の志位氏が派遣労働者、パート労働者がネットカフェで生活している実態を国会でも告発し始めていた。今日、世界的経済悪化で非正規社員の解雇が社会問題になっているずーっと前である。

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